「輝く今日を見つめて」2017.10.30

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中野浩一 氏

 東京五輪開会式まで1000日です。五輪には多くの種目がありますが、2種目だけ日
本発祥の競技があります。それは柔道とケイリンです。今日はケイリンが五輪に採用
される道を開いた中野浩一氏です。
 
 中野氏は1955年生まれ、福岡県出身。高校2年でインターハイの陸上競技リレーで
優勝しましたが、けがのために陸上競技を断念します。競輪選手だった父親の勧めで
競輪を志し、高校3年で日本競輪学校に合格。1975年に卒業し、デビュー戦から18連
勝を飾ります。1976年に初めて世界自転車選手権に参戦し4位に入ります。翌年の世
界選手権では優勝、それから1986年まで前人未到の世界選手権10連覇を達成します。
 
 4連覇のかかった1980年の世界選手権はフランスで開催されました。フランスは
ツール・ド・フランスも開催される自転車競技の盛んな国、中野選手の4連覇を阻止
するために、引退していたフランスの英雄モレロン選手を復帰させます。モレロン選
手は77年に引退していたとはいえ、世界選手権で8個、五輪で3個の金メダルを獲って
おり、彼の臨時コーチとして指導もしており、手の内を知られていました。注目を集
めた勝負は中野選手の圧勝に終わり、この時からフランス人からは敬意をもって
「ムッシュ・ナカノ」と呼ばれるようになりました。5、6連覇は決勝でカナダのシン
グルトン選手と死闘を演じ、特に6連覇は接触・落車もあり、大ブーイングを受けな
がらの勝利でした。

 レース後、シングルトン選手は悪質な進路妨害をしたと判定され、自転車競技から
永久追放されます。10連覇のかかった1986年は5月下旬に競輪で落車して骨折など全
治3ヶ月の大怪我を負いましたが、1ヶ月で競争可能なまでに脅威の回復をしました。
しかし、直前に転倒してしまい、骨折が完治しないままで世界選手権を迎えました
が、結果は200mの当時の世界記録を出すなどして優勝、10連覇を達成しました。中
野選手は10連覇を区切りに、この種目から撤退します。
 
 中野選手の活躍によって、「ケイリン」は1980年に世界選手権で採用されます。そ
して2000年のシドニー五輪で正式種目に採用されました。柔道と違い、自転車競技で
のメダル獲得は難しいかもしれません。でも、中野氏は言います。「17歳で自転車を
始めて3年で世界選手権4位になったから、今から始めても東京五輪に間に合う」
と・・・
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